第3回―トリック映画の幻影― 前編
Text by 田村信


ここでいうトリック映画とは、単にSFXを使ってるとか、エド・ウッドが仕掛けた場面に合わせてイスが動いたり、花の匂いがするというようなものだけではない。オチがものすごかったり、展開、話の中身自体がトリッキーなものを指す。

記憶に新しいのが『シックスセンス』('99米)。映画の冒頭に「ラストは誰にも言わないで下さい」などというブルース・ウイリスの“お願い”が表示される、この異色作は、したたかに計算されたインド出身M・ナイト・シャラマンの脚本・演出マインドが実を結び、子役の好演もあって大ヒットとなった。展開の性質上、エンジンのかかりはやや遅いが、50分あたりからグングンとラストのオチへ引っ張る。
映画としておもしろいが、この手のものすごい大逆転のトリック映画は忘れた頃にやってくる。『シックスセンス』は大ヒットとなってみんながびっくりしたが、ちっとも話題にならず、そう多くない人々だけを仰天させたテイストは違えど、同じネタの映画も何本かある。後で他の話に紛れ込ませて3本挙げる。どれがそうかはビデオを観て判断してもらいたい。

そして、このネタの元をたどればTV『トワイライトゾーン』にたどり着く。1959年からの5年間で151本も制作され、何度も再放送されたこのシリーズ(日本での放映は60年から)は、あらゆるネタの宝庫だ。とっぴな話の元はまずここにある。『シックスセンス』も例外ではなく、語り口は違うがベーシックな部分を同じくする作品が3本はある。
『トワイライトゾーン』ともうひとつ、ネタの山のTVシリーズが『ヒッチコック劇場』だ。55年から60年のあいだに268本も作られ(日本放映は57年から)、こちらもけっこう後まで再放送を繰り返していた。
この2つのシリーズを合わせれば、それこそ巨大なネタの百貨店ができあがり、ほしいものは何でもそろう。逆にいえば、一生懸命アイデアをひねり出しても、たいがいは先に百貨店に陳列されているわけだ。元ネタを全く知らず、苦心惨憺の末、自分が生み出したアイデアもネタが被ってしまえば先に陳列されてることに変わりはない。

ただ、このあたりを神経質に気にしていたのでは、全く目新しい“劇的境遇”を考えつくという作業は、はなはだ困難な狭き門となってしまう。テレビの登場は“映像”の世界にひとつのエポックを画したわけで、その草創期に昔の映画を流すフィラー(穴埋め)だけでは、とても事足りず、テレビ局自らが“TV映画”製作に乗り出した。
『トワイライトゾーン』も『ヒッチコック劇場』も一話ずつ完全独立というのがミソで、レギュラー登場人物のキャラクターによる束縛もなく、ラインに則ってさえいればどんな発想も自由だったし、むしろ強力なトリックの発案こそがこれらの番組の核であった。
ここに精鋭作家たちが集い、我こそはとばかりにまだまだ未開の映像の野に向けて、次々と名作、快作を放っていったのだ。もちろん、このときからすでにネタは過去の映画からの流用もあり、小説からのスライドも多い。

さすがに2つのシリーズを合わせて400作を超えれば、このあたりの早い時期にたいがいの陳列作品が出揃った事実は十分に納得できるのだ。
先人の作品に影響を受けない作家・アーティストなどはいないわけで、ヒントをキャッチすれば、当然、自分の作品に生かすし、またヒントなしに芸術の進歩はあり得ない。これは芸術家のドグマであって、当たり前のことだ。
要は、元ネタが何であろうが、どう調理しようと自由だし、どんな料理ができあがるかは作り手の腕次第ということを言いたいのだ。
『シックスセンス』はなまじ、“この映画にはある秘密が隠されています”などとはじまるブルース・ウイリスのお願いが冒頭に表示されるだけに、中盤すぎから「オチはあれしかないな」と、薄々感づいたりするが、それを“確信”に至らせず、最後の一気のタネ証しまで興味を惹きつけるところが見事だ。
愛のある静かなホラーとしての脚本の巧みさは、元ネタからの大いなる進化に違いない。『ヒッチコック劇場』絡みでは、クエンティン・タランティーノが有名なネタを『フォールームス』('95 米)のなかでパロディーとして扱っている。

『シックスセンス』のように悲しいホラーでありながらも、後味のよさはヒットを狙う上での大きな要因だが、逆に後味の悪さで観客をびっくりさせたのが、『セブン』('95 米)だ。なぜかオープニングクレジットに名前の出ないケビン・スペイシーみたいな奴に狙われたら、確かに恐い。
この掟破りの脚本を書いたのは、アンドリュー・ケビン・ウォルカー。『ブレインスキャン』('94米 監督ジョン・フリン)や『ハイダウェイ』('96 米 監督ブレッド・レオナルド)は、設定自体が荒唐無稽すぎて、ちっとも面白くなかったが、『セブン』は監督デビッド・フィンチャーのハイセンスな、えぐく凝った映像と脚本が見事にマッチし、えもいわれぬ雰囲気を持った傑作となった。

監督が脚本を十分に理解していると感じる個所は多々あるのだが、重要なのはケビン・スペイシーが警察署に現れるシークェンス。
まずブラピとモーガン・フリーマン2人の刑事が、警察署に帰ってくるのだが、ここでカウンターのなかの事務係がブラピに「奥さんから電話があったわよ。帰ったら電話くれって」と声をかける。軽く頷いてブラピはフリーマンと2階への階段を上がるが、その途中でK・スペイシーが玄関から入ってくる。
流れのなかでさりげにふり込まれた事務係のセリフは、まことに重要で、マジックの専門用語でいうところのミスディレクション(誤誘導)の役割を十分に果たしている。ごく自然にブラピの女房とK・スペイシーとの切り離しに成功しているのだ。
大声で2人を呼び止めたK・スペイシーを見ると血まみれ。ここから一気にスペイシーの次元での展開で、ラストまで引っ張る。犯人の要求を呑んで“現場”まで向かう車のなかでの重く、「いったい何が起きるんだろう」とのムードも見事。

『8mm』('98 米)もアンドリュー・ケビン・ウォルカーの脚本だが、“あの『セブン』の脚本家”という刷り込みは強烈で、最後の最後まで「何かあるぞ、何かあるぞ」とヒヤヒヤするし、ラスト、映像が消えるまで目が離せないこれも傑作となった。
 一方の、プロモーションビデオ監督出身のデビッド・フィンチャーは『エイリアン3』('92 米)で映画監督デビューの後は、『セブン』『ゲーム』('97 米)『ファイトクラブ』('99 米)と必ず強度のオチがあるトリック映画一直線だ。どれもアクが強いが面白く、この監督のセンスはいずれまた大ヒットを飛ばす。
『セブン』ヒットの後は、やはり類似作品が多々作られたが、本家ほどのインパクトはないものの『ポストモーテム検死台』('97 米 監督アルバート・ピュン 主演チャーリー・シーン)『レザレクション』('99 米 監督ラッセル・マルケイ 主演クリストファー・ランバート)あたりは、それなりにおもしろい。ことにドンパチ派手好みのアルバート・ピュンは、おとなしい映画でも勝負できるところを見せた。

 なにやら前評判がすごかったのが、『ブレアウィッチプロジェクト』('99 米)。あの終わり方には賛否両論あろうが、全編ドキュメンタリー風というのは、なかなかのトリック映画だ。
 手持ちカメラを駆使したドキュメンタリー風映画というのは、過去に『ありふれた事件』('92 ベルギー)というのがあるが、これはアイデア倒れで、ごく一部のマスコミは目新しさで褒めていたが、さっぱり面白くなかった。
 ただ『ブレアウィッチプロジェクト』にも元ネタがあって、ビデオ発売に合わせて同時期に『ジャージーデビルプロジェクト』('98 米)というのが発売された。この映画は日本未公開で、『ブレア――』のヒットに乗じてのビデオ発売の感はありありなのだが、制作年数を見ると『ジャージー――』のほうが先に完成していたことになる。パッケージにもその旨を書いてある。
 となれば、『ブレア――』は完全に『ジャージー――』のパクリだ。ただ『ジャージー――』の原題は『THE LAST BROADCAST』なので、邦題は『ブレア――』のパクリだ。
 なんだかややこしいが、『ブレア――』は期待が大きかっただけにややスカされた感じがしたが、『ジャージー――』はなめてかかったのを反省させられるくらいグイグイ引き込まれる。よく夜中にやっているアメリカのドキュメンタリー番組を観ているようで、インタビューされる素人を演じる役者も妙に上手い。編集もドキュメンタリーのリアリティをかもし出していて見事。
 どうせなら、最後の最後までドキュメンタリーでいってほしかったのだが、この映画の手法をストレートにパクった『ブレア――』がややこしいところを削ぎ落とし、よりシャープな映画を狙った結果があの終わり方になったというところはよくわかるのだ。

 全編これまさにトリックの傑作が『キューブ』('96 加)。なぜか四角い部屋の集合体のなかに閉じ込められた男女数名が、決死の脱出を図るゲーム感覚のこの映画は、低予算ゆえに使い回しのきく“四角い部屋の集合体のなかで”というのが発想の元らしいが、素晴らしい出だしの“つかみ”から、ラストまで目をくぎづけにされる。単なる不条理ものではなく、ラストも十分に納得してしまう。
 もちろん、このヒット作にも“あやかり作品”はあるわけで、共にビデオ販売のみの『キューブIQ』('98 豪・原題『THE GAME ROOM』)、『デスキューブ』('97 米・原題同 制作ロジャー・コーマン)はどちらもとても情けない。これらも全て観てしまう私は、とても情けがある。

 トリック映画のかっこうのネタとなるバーチャルリアリティーものは、『トロン』('82 米)あたりを皮切りに、最近とみに多い。いかにもキャスティングが弱い『13F』('99 米)なんかは、やたら複雑ながら、ちゃんとまとまっていて面白いが、映画公開が『マトリックス』('99 米)の後とあって、かなり損をした。ネタ的に二番煎じにしか見られないし、どんでん返しにも驚かない。原作の映画化がやや遅かった。

 バーチャルリアリティーものの怪作は、デビッド・クローネンバーグの『イグジステンズ』('99 米)。冒頭から先の読めない話の展開に一気に引きずり込まれる。全編を怪しげで不可思議なムードが貫くが、同じデビッドでも、デビッド・リンチの『ロストハイウェイ』('96 米)みたいに、一見ディープに見えて実は安易な難解もので終わらないところが偉い。
 バーチャルリアリティーを体験できるゲームポッドを身体に取りつける際の背中から脊髄に開いた穴は、まさしく“アヌス”そのもので、この監督の“純度の高い自己主張”は強烈だ。ひねりも十分だし、売出し中のH.H.N(ハリウッド・ホモ・ネットワーク)の新星ジュード・ロウも好演。

 バーチャルリアリティーものに限らず、現実と非現実が交錯する幻想的トリック映画も、ひとつ間違えば支離滅裂な駄作に陥る危険性をはらんでいるのだが、最近の傑作は、『オープンユアアイズ』('97 スペイン)。何が現実で、どれが夢想か。真実の境界線が揺らぎながらラストを迎える。
 やはり、ややもすれば支離滅裂になるところを見事な手腕でまとめきったのが『ラン・ローラ・ラン』('98 独)。この鋭いセンスの新感覚ムービーは、男のために女が走るという単純な構図を、軽妙なトリックとスピード感で最後まで飽きさせない。
 ストレートな“愛”の表現も痛快だし、この傑作が世界中でヒットというのも頷ける。また原題の『LOLA RENNT』を『ラン・ローラ・ラン』と強調した日本スタッフの単純なようでかなりの切れ者センスにも脱帽。

 同じ題材を元に、同時期に複数の映画が製作されるのはハリウッドでは当たり前だが、イギリスでも同じ年に同じ元ネタの2本のトリック映画が作られた。『妖精写真』('97 英)と『フェアリーテイル』('97 英)だ。
 これらの元ネタというのは、あの“シャーロック・ホームズ”生みの親であるアーサー・コナン・ドイルがあっさり騙されたという有名なひとつの“事実”だ。1917年、イギリスの片田舎に住む2人の少女が妖精の写真を撮ったと言い出した。3年後にこの写真の存在がコナン・ドイルの知るところとなるのだが、すっかり本物と信じきってしまったドイルは記事とともに公表してしまい、当然のごとく世間の失笑を買った。何とまぬけな。
 この事実をヒントに書かれたスティーブ・シラジーの小説の映画化が『妖精写真』だ。一方の『フェアリーテイル』は事実だけを元にしている。
 といっても、『妖精写真』のほうも原作は、なにやら変態の妄想みたいで展開もノロく、むしろ脚本家(ニック・ウイリング、チャールズ・ハーランド)が“事実”を元に自在に展開を進めた感が強い。どちらもファンタジー映画なのだが、興味深いのは、2作とも同じネタを元にしながら、切り口が真逆(まぎゃく)であるというところだ。このあたりに作り手の感性の相違が見て取れる。
『妖精写真』は、監督のニック・ウイリングも新人だし、役者も有名どころはベン・キングスレーくらいなのだが、ミステリー仕立てでオチもしっかり効いていて(原作にはもちろんない)、トリック映画の秀作になった。ハーヴェイ・カイテル、ピーター・オトールと渋めをそろえ、ラストにはとんでもないハリウッドのトップスターも顔を見せる『フェアリーテイル』の“いい映画ぶり”より、ビデオのみで発売された『妖精写真』のオップアートぶりが私は好きだ。
 観る順序としては、『妖精写真』のほうから観たほうが面白さを損ねない。

 変なトリック映画は『薔薇の素顔』('94 米 主演ブルース・ウイリス)だ。見抜けなかった観客は、最後に「あらまーっ」と言うだろう。バレると笑われる大胆なトリックを決行したスタッフの強心臓ぶりがすごい。
 実験中のタイムマシンの影響で、その場所を通りかかった男女数名が何度も時間が元に戻り、撃ち合いを繰り返すという『リバース』('97 米)も、『タイムアクセル・12:01』('93 米 これはテレビ映画)や『恋はデジャヴ』('93 米)でも使われたネタをアクション1本に絞り込んだところがすごい。
 床屋の主人が客を殺し、裏でパイ屋をやってる女房がその人肉を混ぜてパイを売るというものすごい実話の映画化『スウイニートッド』('97 米 主演ベン・キングスレー)は全編にわたって映像が蜃気楼のように微妙に揺れるトリックを使ったが、確かに異様な気色悪さはかもし出せたものの、映画自体がちっとも面白くなかった。▼
 (以下後編)