第5回―タイトルに訊け!― 前編
Text by 田村信

私は西荻窪に住んでもう結構長いのだが、西荻には“丹波御殿”と呼ばれる丹波哲郎さんの邸宅がある。ずいぶん昔になるが、ここに一度だけ行ったことがある。漫画家としてデビューしてまもない頃だから、私が19歳か20歳だったと思う。このときのことは、かなり鮮明に覚えている。

当時、丹波さんは自分で製作・プロデュースする映画の準備を進めていて、プロットを絵コンテにする“絵描き”を探していた。
これになぜか、西荻の“ご近所さんルート”、“増田歯科”の先生によって私が推薦されてしまった。
「つい最近、少年サンデーでデビューしたバリバリの新人で、新人賞も取っているし、そりゃァ、絵も上手い」
という触れ込みだったようだ。丹波さんが私の漫画を見たら、多分、ひっくり返ったと思うが、増田歯科の先生の触れ込みを真に受けたのだろう。ご苦労だが、いついつ何時に家に来てくれ、ということになった。

私は“絵”で出てきた漫画家ではなく、ましてやデビュー当時のそれは“まことにけっこうなもの”だったわけなのだが、いざとなればどうにでも描ける自信はあったし、絵の稚拙さゆえにあみ出した必殺技もあった。岩なら“いわ”、木なら“き”と書き文字を入れてしまえば小学生にでも理解できる。ビルなら“びる”だ。
“映画づくり”にももちろん興味はあったし、何よりも丹波哲郎さんに会いたかった。丹波さんといえば、私が田舎で鬼のように観まくったやくざ映画に結構出ていたし(当時は主流がやくざ映画だった。実は私がもっとも得意とするところはこのあたりなのだ。この稿はいずれ書く)、降ってわいた「生丹波に会える」などというラッキーを見逃す手はなかった。
このことを少し前に田舎に帰ったY君に知らせたら、ものすごく羨ましがられた。(Y君は私の高校の同級生で、映画監督になるために東京で勉強していたのだが、すぐに挫折して、というより田舎に残した彼女のもとに帰った)

当日、丹波御殿の門をくぐってやや歩き、玄関に入ると、いきなり等身大の着流し姿の丹波さんのパネルが目に入った。広い玄関の上り口右側に、男前パネルがでーんと立っていた。昭和50年以前の東映の映画館には、正月になるとスター達の等身大パネルがズラリと並んでいた。“着流し物”においては、丹波さんは高倉健や鶴田浩二とはやや役どころが違うので、そのパネルはおそらく正月用に撮られたスチールのものだ。なにやら妙にうれしかった。声をかけると、左手奥から“生丹波”が出てきた。

第一声は、「よおよおよおよお、上がんなさい上がんなさい」。“よお”は4回で、“上がんなさい”は2回だ。パネルよりははるかに目が柔和だった。メチャ広い応接室に通されると、もう1人、私と同年輩の若者が先にソファーに座っていた。
昼飯にそば屋から出前を取ろうということになったのだが、メニューを見てわれわれ“客”は“天ざる”を頼んだ。たぶん“上”だったと思う。1人が天ざるを頼んだを見て、「何だ、この若者は(自分も若者なのだが)。メニューのなかで一番高い“天ざる”を頼むとはずうずうしい奴だ。じゃ、おれも“天ざる”にしよう」みたいな感じで、どちらが先に言い出したかは忘れたが、とにかく2人とも“天ざる”だった。
丹波さんは“釜揚げうどん”を頼んだ。“釜揚げうどん”なるメニューは、私の経験のなかにはなかったし、今日までも注文したことはない。できあがるまでの行程が普通のうどんとどう違うのか知らないが、結局は“素うどん”なわけで、ずい分質素だ。「これが一番旨いんだ」というようなことを言っていたと思うが、名を上げ功を成した人はこういうものを食べるのか、と、ここぞとばかりに“天ざるの上”を頼んだ“若気”がちょっと恥ずかしいような気もした。

やたら若い2人に、丹波さんはつくろうとする映画のことを熱っぽく語ってくれた。幻想的な話らしい。冥府の川を主人公が船で上っていくのだそうだ。全くのイマジネーションの世界なので、丹波さんの感覚像を上手く絵にしてほしいという。途中、何度か「できそうかね」と聞かれた。もう1人の若者の反応は覚えていないが、私はその都度はっきり「大丈夫です」と答えた。
考えてみたら、かなりの難題だし、多分丹波さんは池上遼一みたいな“絵”を想定していたと思うのだが、いざとなれば何とでもなるという思いは、揺るがなかった。
ただ、出された条件には参った。絵コンテが完成するまでのひと月だか、ふた月は、丹波御殿で生活しろという。2階の1室で寝泊りし、外出は一切まかりならん、ということなのだ。映画づくりの過程で実際、本当にこんなこともあるんだ、とちょっとびっくりしたが、この条件には2人とも一様に顔を曇らせた。
丹波さんは「食い物は毎日旨いものを食わす」とか言っていたが、“天ざるの上”もいいけど問題はあった。私は漫画と絵コンテを十分両立させられると踏んでいたのだが、これだとまるっきり絵コンテのほうにかかりっきりとなってしまう。デビューしたばかりの私は、そこそこには期待もあったわけで、小学館との契約もあったし、次の締切日も決まっていた。出版社とは全く関係のないルートで勝手に決めた映画の仕事で、何カ月も丹波御殿に隔離されるわけにはいかなかったのだ。

ギャラがいくら提示されたかは覚えていないので、たぶん、そこまで突っ込んだ交渉には至らなかったと思うが、後日“増田歯科の先生”を通じて丁重にお断り申し上げた。よくよく考えてみると、この判断は正解だったと思うし、もしも話が決まって仕事に入ったときのことを想像するとゾッとする。
丹波さんがあれこれイメージを思い浮かべる。私が「はあはあ、なるほど」などと言いながらスケッチブックにコンテを走らせる。「どおーれ」とか言いながら丹波さんがスケッチブックを覗き込む。間違いなくひっくり返る。漫画家である以上、どの仕事のときも“個性”は必要ということはプロになったときから知っていたので、「ここのスペースが寂しかったので、こういうものをあしらってみました」とか言って、絵の隅っこに勝手にしりなどを描いていようものなら、丹波さんはまずしばらく起き上がれなかったはずだ。
当然ながら丹波さんと会ったのはこの1回きりで、“増田歯科の先生”はいまでも私の主治医だが、西荻ルートとはまた別ルートで来ていたもう1人の若者が、どう返事したかも、映画に関わったのかどうかも知らない。名前は聞いたはずだが、忘れた。(彼は漫画家ではなかった)

この企画は、やがて『砂の小船』('80 丹波企画 製作・脚本・監督丹波哲郎、監督原田雄一)として成就するのだが、正直なところあまり話題にはならなかったしヒットもしなかった。だが、丹波哲郎の霊界へのこだわりは衰えることなく、やがてブームを呼んだ『丹波哲郎の大霊界・死んだらどうなる』('89 学研・丹波企画)へとつながっていくのだ。これはヒットし、第3弾までつくられ、勢いに乗って『砂の小船』も『丹波哲郎の地上(ここ)より大霊界』と改題されビデオリリースされた。

ここから強引に今回のテーマに持っていくのだが、『大霊界』シリーズはタイトルが(も)素晴らしい。“大”をつけてタイトルにインパクトを加えるというのは業界の常套手段で、漢字二文字にはピッタリはまるし、ゴロもよくなる。『大魔神』('66 大映)、『大脱獄』('75 東映)、『大誘拐』('91 東宝)、『大脱走』('63 米)『大逆転』('83 米)、いくらでもある。怪獣もみんな“大怪獣”だし、渡哲也は“大幹部”シリーズだ。
この有効なテイストである“大”を“霊界”にくっつけるところが上手い。さらに頭に自分の名前を持ってきて、『丹波哲郎の大霊界』とすることによって“霊界”はみんなのものなのだが、“大霊界”というオリジナルな新表現は自分のものと喧伝するところが見事だ。
サブタイトルの『死んだらどうなる』もストレートさがすごい。人なら最後には100%体験せざるを得ない“死後”という究極の疑問をレクチャーしてくれそうなこのサブタイトルは強力な“呼び込み”だ。
第2弾『丹波哲郎の大霊界2・死んだらおどろいた』も何がどう驚くのかものすごく興味をそそる。大霊界=丹波哲郎という公式がすっかり世間に浸透した後の第3弾は、シンプルだが勇壮に『大霊界3』だ。

映画のタイトルはまことに重要である。画(え)もポスターもなく、活字だけで紹介される場合などはまさしくタイトルが“顔”になる。外国映画の場合、原題の直訳にしても、微妙な言い回しでニュアンスが変わるし、新たに邦題をつける際にも抜群のセンスを必要とする。過去の名作と呼ばれる映画を見ても、さすがにタイトルが見事に決まっている。『風と共に去りぬ』('39 米)なんかは、原作の直訳だが、“去りぬ”と結ぶあたりに何やら文芸大作の匂いが感じられて、永遠の名作と呼ばれるにふさわしい最高にかっこいいタイトルだ。

『俺たちに明日はない』('67 米)は、圧倒的に邦題の勝利だ。中身が見事にタイトルに投影されていて“はまって”いる。『勝手にしやがれ』('59 仏)も同様に、ラフな新感覚ぶりがタイトルに窺えるが、こんな60年代の日活風言い回しタイトルは、最近では『狂っちゃいないぜ』('99 米 主演ジョン・キューザック)というのがあって、これもちょっとネタが変わっていて面白い。『明日に向かって撃て!』('69 米)もちょっとくさいがすばらしい邦題だ。同じくロバート・レッドフォード、キャサリン・ロス主演の西部劇というだけのつながりで、似たような邦題の『夕陽に向かって走れ』('69 米)というのもあるが、こちらはポール・ニューマンがいないせいかどうか、『明日に――』みたいな大ヒットにはならず評価も高くない。

最近の外国映画は、日本公開モノはもちろん、未公開モノもTV映画も、何でもかんでもビデオシリリースするので、いちいち邦題を考えるのが面倒くさいわけでもないだろうが、原題の直訳も多く、勝手につけた邦題でも、とにかくやたらわけのわからないカタカナ文字のタイトルが多い。
『ジェイド』('95 米 監督ウイリアム・フリードキン)や『シェイド』('96 米 主演トム・ベレンジャー)、『ザ・グリード』('98 米 主演トリート・ウイリアムス)や『ザ・ブリード』('99 米 TV映画)は、ちょっと油断すると間違えてしまう。

多少ややこしくても、『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』('84 米)みたいな話題作やヒット作はすぐに覚えられるが、山ほどあるカタカナ・タイトルのなかで『スポンティニアス・コンパッション・人体自然発火』('90 米 監督トビー・フーパー)などは、なかなか空で言えるようにはならない。
現在公開中の『13デイズ』('00 米 主演ケビン・コスナー)や『シックス・デイ』('00 米 主演アーノルド・シュワルツェネッガー)もありていで紛らわしい。もうちょっと邦題をひねればいいのに。(この2本はまだ観ていない。ビデオで観られるのは半年もあとになる)

カタカナ・タイトルと日本語タイトルの比率は、過去にさかのぼるほど日本語タイトル有利だ。昔の外国映画は日本語タイトルが多く、しかもストレートで、その映画の世界観がよくわかる。センスのいいところをいくつか挙げると、TVでも大人気を誇った『アンタッチャブル』の劇場版は『どてっ腹に穴をあけろ』('59 米 ビデオタイトル『ザ・アンタッチャブル・どてっ腹に穴をあけろ』)。いかにも乾いたギャング映画の雰囲気が出ていて秀逸だ。“どてっ腹”という表現がエグい。
60年代の日活映画で宍戸錠あたりが『おれに近づくとどてっ腹に風穴があくぜ』などとクールにキメてたのも元はこの映画の邦題だ。
フランスのギャング映画なら、『筋金(ヤキ)を入れろ』('55 仏 主演ジャン・ギャバン)。筋金と書いて“ヤキ”と読ますとこなんざまことに渋い。『乱暴者(あばれもの)』('53 米 マーロン・ブランド)も、普通に“らんぼうもの”ならただの“頭の悪い力持ち”みたいになってしまうが、これを“あばれもの”と読ませることによって、マーロン・ブランドの知的で斜に構えた雰囲気がよく出ている。『奴らを高く吊るせ!』('68 米 主演クリント・イーストウッド)もいかにも復讐西部劇風だ。

照りつける太陽、真っ青な海のもとでの犯罪青春映画『太陽がいっぱい』('60 仏・伊)で大当たりを取ったアラン・ドロンは美しいが暗いのに、『太陽はひとりぼっち』('62 伊)、『太陽が知っている』('68 仏・伊)と太陽シリーズの連発だ。
これはいじくりようがなく、まるっきり直訳の『市民ケーン』('41 米 監督・脚本・主演オーソン・ウエルズ)も頭につく“市民”という全くの当たり前さがかっこいい。『招かれざる客』('67 米 主演シドニー・ポワチエ)も確かにタイトル通りだし、極めつけは『蛇皮の服を着た男』('60 米)だ。しっかり主役のマーロン・ブランドが蛇皮の服を着ているのだ。これほどわかりやすい邦題はない。▼ 以下後編

ちんぽ映画最新情報

先日、ビデオリリースされた『エニイ・ギブン・サンデー』('99 米 監督オリバー・ストーン、主演アル・パチーノ)もびっくりする。映画館ではどうだったか知らないが、これもビデオではボカしなしでモロにものすごいちんぽが出現する。
男の戦場であるアメリカン・フットボール。その控え室の雰囲気をリアルに表現するためのオリバー・ストーンの狙いなのだが、キャメロン・ディアスが入ってこようが、全く動じない。キャメロン・ディアスも平然だ。『メジャーリーグ』('89 米)でも同じようなシーンがあるが、ちんぽ丸出しのこちらのほうが説得力がある。
ややライティングの弱い『クライング・ゲーム』のシーンよりもはるかにあからさまで、時間も長いし、ちんぽも長い。包茎だけれども。他にもいくつものちんぽがチラチラする。映画自体もド迫力で面白いので、いっぺん観てみなはれ。
あと数日に迫った新世紀に向けて、映画を取り巻く状況も確実に進化しているのだ。