“天才山上”にキスをする! Text By田村 信  70年代、ギャグ漫画シーンに“神風”が吹いた。旋風の“核”は天才山上たつひこ。山上こそ、ギャグ漫画を大きく飛躍昂進させた“本格派”のルーツなのだ。

 1月21日、ギャグ漫画家3人が山上たつひこに会いに金沢へ飛んだ。
 これはわれわれのアイデンティティの確認であると共に、あの、確かに爆発した70年代ギャグ漫画を再び今、現在に知らしめんが為の決起集会!
 われら、天才山上の申し子なり!

 2002年、世紀を超えて“70年代ギャグ”の逆襲が静かにはじまる!これが今回の“金沢行きご一行”
 後ろに泉晴紀、前列に江口寿史、田村信、そしてなぜか吉祥寺の元OL西村ちとせ。
豪放にして繊細・泉晴紀。向こうに編集長・吉田保。吉田は若いが出版社フリースタイルの代表だ。彼が“ツアーコンダクター”。この計5人で金沢へ向かった。
今回の“野望”は神への冒涜か。いきなり天が荒れ、飛行機が途中で引き返す大アクシデント。この日のJASは以後、すべて欠航となり、空港ロビーで呆然自失の田村・江口。
 この後、一行は新幹線に乗るために東京駅に向かったり必死に走り回るが、結局、欠航にならなかったANAの便が取れ、予定時間を大きく遅れて金沢へ。
ようやく山上先生に会えたのは、夜も10時過ぎ。先生行きつけの小さな料亭にて。
 田村と江口は山上の登場を正座で待った。
 さすがに食通の天才山上が認める店だけあって料理は絶品。
 いくつかの仕事の話も終えて、記念撮影に移る。田村は大胆にも、すでにキスを狙っている。
江口寿史はもちろん天才山上たつひこを尊敬しており、東京時代にも面識がある。
 泉晴紀はここ金沢の山上邸のすぐそばに実家があり、山上の原作に絵を描いたこともある。
 そして田村信は、天才山上の弟子だ。
 こんな同世代3人が、荒ぶる天に贖(あがな)い苦難を乗り越え“神”に会いに来た。
この酒の場でも語ったけれど、実は田村信は世界で一番山上ギャグを理解しているという確固たる自信がある。プロアマを問わず山上研究家は多いのだが、彼らほど“知って”はいなくても“わかっている”。
 二番目が江口寿史らしい。
 もちろん、山上先生の人となりをこの世で一番わかっているのはここにも同席した奥さまなのだけども、「漫画のことはわからない」とのこと。
 むろん田村が幾重にも複雑に折り重なった天才山上の感性すべてまでも理解できるはずもなく、その理解度がたとえ30%だったにせよ、田村が世界で誰よりも山上ギャグをわかっていることに変わりはないのだ。
天才山上は昔も今も品の良い紳士だ。落ち着いた口調で、静かに話し、われわれを「さん」付けで呼ぶ。
 一番に酔っぱらった江口寿史が、変な質問をしそうになるのを、隣りにいた田村信が止め役に回った。しまった、先に酔うべきだった。
 さっぱり覚えていなかったけれど、山上先生の話によると、アシスタント時代の田村信は相当に生意気で、イカレてたらしい。確かに若いときはウニのようにトゲが立ってたようにも思うけど、今はボーリング球みたいにまん丸だ。
 写真の江口寿史が、実に嬉しそう。
料亭を出た一行と山上夫妻は深夜のスナックへ。
 天才山上“裕次郎”を熱唱。
 帰りがけ、これぞ金沢詣で究極の目的、田村・江口のダブルキッス。
 ブチュ〜〜ッ。このリポートのハイライト、ブチュ〜〜〜〜〜ッ。天才山上の恍惚の表情を見よ。
うひゃ〜〜もう勘弁してくれ。
 まだじゃまだじゃっ。天才のエキスをもらうのじゃ ブチュ〜〜ッ チュ〜〜ッ チュ〜〜ッ。
 わしらはこの一瞬のためにはるばる東京からやってきたのじゃっ。
 ちなみに、田村・江口ダブルキッスの洗礼を受けた果報者は、これまでに天才山上と大地丙太郎だけ。
 この夜、一行は金沢一の全日空ホテルに宿泊。
昨夜は風もなく、意外にも暖かかった金沢。だが翌朝、その本性を表わした。ホテルの外は大粒のヒョウ。
 やむのを待って昼前に散策をかね徒歩で山上邸に向かう。
 ところが、今度は雪。さすがに金沢は寒い。風が恐ろしく冷たく、密度の濃い雪が絡みつく。
 
 写真は山上邸のすぐ近く。ここが金沢情緒 メインストリート。
 田村信は一行からやや遅れ、歩きながら泣いていた。
 天才山上に憬れ、一人で山上に会うときめ、一人喫茶店で天才山上を待った遠い過去を想い懐かしむうち、なぜか邂逅(かいこう)の涙にくれたのだ。
あまりの寒さに、土産物店で一休み。
 出発前日も睡眠が足りず、昨夜のホテルでもほとんど眠れなかった田村は“泣き”も加わって疲労の色が濃い。
 ホテルのモーニングから、既に飲んでるし。
 
 田村信が山上作品と最初に出会ったのは、高校生のころ、少年マガジンに読み切り掲載された『やってきた悪夢たち』。
 この作品に山上の“天才の閃き”を感じた田村は、以後猛烈な山上作品の“追っかけ”となった。
 田村自身、幼稚園児の、まだ字もろくに書けないころから漫画家になることは決めていたけれど、その後も“ギャグ”漫画家を目指していたわけではない。尊敬する大好きな天才山上が漫画史に爆弾を落とすようなとてつもないギャグ漫画を生んだので、田村もギャグへ移行したのだ。「山上ギャグが好き」から入ったのではなく、「好きな山上がものすごいギャグ漫画を描いた」のだ。
山上先生も奥様もきれいに歳を取られた。
 四半世紀ぶりに会ったのに、若若しさに驚いた。品の良さも変わらない。
 東京の豪邸を引き払い、気に入った金沢に移り住んだ先生夫婦を見ていると、名を上げ功を成した天才の落ち着きと、余裕が感じられる。
 
 先生がまだ若く“ギラつき”が見えたころ、あの『がきデカ』のごく初期、東京練馬の仕事部屋。机に向かい、ネームと格闘する天才山上の後ろに私はいた。弱冠19歳。他のアシスタントはネームが上がるまでは出番もなく、深夜の部屋には2人だけ。
 静寂のなかで、天才山上のギャグセンスが苦悩し、うねる。
 私は邪魔にならぬよう、息を凝らしながら瞬きも惜しんでその姿をずっと見ていた。どこで詰まり、どのコマ、どのセリフからギャグが転がりはじめるのか。このコマの先、どっちの展開に持っていけばより多くのギャグがひねり出せるのか。ここでギャグを被せる、被せる。さらにもうひとつを天才はどう被せるのか。
 朝まで、完成するまで、本格ギャグ漫画の最高峰『がきデカ』のネームと戦う天才山上の後姿をずっと見ていた。
 この一夜が私の糧(かて)だ。

 山上先生は、現在、文筆の仕事でお忙しい。ただ、漫画家、天才山上たつひこはもちろん健在なのだ。ごく近い将来、新作発表の運びとなる。
 山上は不滅。
 みんなで天才山上を待つのじゃ。待たないやつは死刑!!