第7回――リメイク映画のリフレイン―― 前編
Text by 田村信

ビデオは毎月、毎月かなりの作品数が世に出るが、少し前に、マジでパカパカ出るビデオを全部観てやろうと挑戦したことがある。アダルトビデオや音楽ビデオらを除いた一般の映画ビデオのみに絞ってのものだが、ひと月過ぎで挫折した。
そんなのは、ムリだ。小さめのビデオ店で毎月入荷する作品を追うくらいなら可能だろうが、そんなものは全体のごく一部に過ぎない。そこそこ大きい店で、“今月のニューリリース作品”とかいってチラシで紹介してたりするが、それも全体から見れば半分そこそこだ。かなり大きい店でも、毎月出る全作品をカバーしているわけではない。

全部観たつもりでも、出たはずの作品(何かの情報で得た)がどのビデオ屋を探してもない。そういうのが1本や2本ではない、ということに気づいてアホらしくて挫折した。どこか遠くまで足を伸ばして、ものすごい規模のレンタルビデオ店まで行けば置いてあるのかもしれないが、そこまでしてビデオを借りるのはあほうだ。借りたはいいが、返しに行くのが気が重い。そもそも、そんな苦労までして借りたビデオが面白いものかどうかわからない。やっと借りて観たら、ムチャクチャしょーもなかったらひっくり返る。第一、“ものすごい規模のレンタルビデオ店”という夢のような店はどこにあるのだ。

ビデオテープは海賊版もけっこう出回っていて、“ハコ屋”だの“カバン屋”だの呼ばれる人間がビデオ屋に売りにくるらしい。ビデオ協会だかの人間が抜き打ち査察であちこちのビデオ屋を見回っているらしいが、おっつかないみたいだ。

史上最大ヒットの『タイタニック』('97 米)なんかは、映画の上映期間中にすでに全世界で大量の海賊版が出回った事実は有名だが、なかには明らかに映画館にビデオを据えて撮ったものもあって、途中で観客が立つ影も映っているのもあったらしい。最近では、いろんな作品の海賊版DVDも登場している。

黒澤明作品は10年前に東宝が21本連続でビデオリリースした。『七人の侍』は初のビデオ化ということだったが、これもとっくに海賊版が出ていて私も観た。その海賊版はアメリカからの逆輸入版で、下に英語の字幕が入っていた。

逆輸入版も『フランケンシュタインの怪獣サンダ対ガイラ 海外版』('66 日・米)みたいに英語の吹き替え版で下に日本語の字幕が入っている正規のものもある。ちなみに、これのアメリカ版タイトルは『The War of the Gargantuas』だが、向こうのアテレコ技術も素晴らしく、口の動きにピッタリ合っていて水野久美や佐原健二が本当に英語をしゃべっているように見える。
ラス・タンブリン(あの『ウエストサイド物語』のジェット団のリーダー役だ)なんかはもともと英語でしゃべっているのを日本語に吹き替えていたので、あたり前だが恐ろしいほど口がピッタリだ。(微妙に合ってないところはセリフが変わったのだ)

日本映画を字幕で観るというのも乙なものだが、海賊版『七人の侍』みたいに英語字幕は気になってうっとうしいだけだ。読めないし。

『空の大怪獣Q』('82 米)もひどい海賊版があった。日本語字幕は入っているのだが、表示時間がやたら短くて、読み終わらないうちにパッパカ変わる。文字が出てきてはすぐ消えるのだ。これはかなり神経が参る。昔はこんな粗雑な海賊版ビデオテープがときどきあった。

西荻窪にレンタルビデオ店がポツポツオープンしはじめたのは、ビデオデッキの“ナショナル・マックロード”のリモコンにコードがついていて、本体とつながってるタイプがまだ残っていた時代だ。これまで9店が開店しては潰れた。現在残っているのは5軒だ。店の数は10年くらい前がピークで、まことにローカルな表現だが、女子大通りなんかは18メートル間隔で3軒つらなっていた。明らかに飽和状態で、作品数が少ない店やサービスが悪い店、立地条件が悪いうえに店名が臭すぎる店、人のことジロジロ見る変なおばさんがオーナーの店などは次々に潰れた。

私は全ての店の会員カードを持っていて、吉祥寺の3軒の店のカードも合わせると、一時は全部をしまっていた財布が膨らんでパンパンだった。こんなもので財布が膨らんでもちっともうれしくないわっ。
レンタルビデオ店は、店によって入荷する作品の選び方も違うし、古いビデオの持ちゴマも違うので、大きい店になかったものが小さな店だけに置いてあったりすることもある。何でもそろった“ものすごい規模のレンタルビデオ店”などの所在がわからない以上、カードは多いほどいいのだ。

ビデオ店の競争が熾烈だったころに、ビデオチェーン店が西荻に乗り込んできた。チェーン店といっても1号店は高井戸あたりの普通の規模のビデオ店で、西荻窪は3号店ということだった。あまり大きくはなかったが、場所的にはそこそこで、この店がオープン時に“オール100円貸し出し”をやった。確か2週間くらいだったと思うが、この期間は新作も全て100円で借りられるのだ。街中、いろんなところに立て看板なんかも立てて、けっこう“100円”の文字が目立った。(道路交通法違反じゃ)
私ももちろん、ここぞとばかりにこれまで見逃していた作品(面白くないのがわかっているので、あえて観なかった作品)も全部観た。400円前後を払って観るのはバカバカしいが100円ならあまり損した気にはならない。いらないものばかり買ってしまう100円ショップの心理だ。

立て看板の効果もあって、この期間は店中押すな押すなの大盛況だったが(ちょっとオーバーだが)、期間を過ぎたとたんコントみたいに人っ子1人客がいない(これもかなりオーバーだが)。
期間終了のとたん、新作を他店よりちょこっと値上げしたのがまずかったと思う。最初が安かった分、落差が大きいのだ。あまりの客の不入りに、しばらくすると苦し紛れにもう一度“旧作のみ100円”期間をぶち上げた。これでまた押すな押すなの大盛況ならかなりのギャグなのだが、今度は誰も見向きもせず、このチェーン店はあっという間に西荻から撤退した。“ビデオ者”のあいだでは、この店の一人相撲は伝説だ。

“杉並近辺の貸し本屋チェーン”の西荻2号店は狭い店の半分が貸し本、半分がレンタルビデオという、田舎の町内みたいな感覚で勝負したが、あっという間に潰れた。ここの店長は貴重な『できんボーイ』ファンだったので残念だ。
とにかく乱立のピークは過ぎたものの、日本中どの街にも需要に応じた数だけレンタルビデオ店は既存するわけで、これらの店に毎月数々のレーベルが出荷される。

ビデオ店だけに頼る末端の映画ファンが全ての作品を観るのは不可能に近いが、次々に新作は観たいし、あれこれ好みに応じてチョイスする人間がほとんどなので、作品は多いに越したことはない。
作り手のおおもとハリウッドは大変だ。万年ネタ不足は当然なわけで、これを補う“リメイク映画”の製作は大義名分にのっとった王道だ。誰も文句は言わないし、むしろ過去の名作が時代に合わせた新しい感覚で甦るのは吉報だろう。過去の作品を知らない人間にはリメイク云々は関係もなく、自分が観たものが初モノだ。
リメイク映画は名作の続編映画のように、前作に絡めた話を新しくムリヤリひねり出すのではなく、名作そのものを土台に使えるので、成功率は続編ものよりは高いかと思いきや、そうでもない。

さすがにリメイク作品として選ばれたものは完成度が高く、ほとんどの人間を「面白い」と言わしめたからこそ“名作”なのであって、これを新しい材料を使ってより面白いものに作り直すという作業はかなりの難題だ。

『ザ・フライ』('86 米)〈旧作『蝿男の恐怖』'58 米〉は新作も十分に面白いし、やや陳腐にも映る旧作に比べSFXなどは格段の差がある。(これは新・旧どちらにも続編がある珍しいケースだ)
サンタクロースの真贋にまつわる人々の優しさを描いた『34丁目の奇跡』('94 米)〈旧作『34丁目の奇跡』'47 米〉などはどちらも感動するが、何やら文句のつけどころのない新作は全ての面において決して旧名作に劣るものではない。

ただ、旧作支持派がよく口にするのは“最初に観たときの感動”だ。細部は変わろうとも、結局“同じもの”ならもちろん最初に観たときのほうが感動は強いだろうし、リメイク映画に限らず、いま観ればなんてことない映画でも、最初観たときに感動したならば、その感動は心に残っている。
「小さいころに観たときはあんなに面白かったのに」
という経験はよくあることで、実は映画を評価する際に、この“最初に観たときの感動”というのはかなり重要な部分なのだ。
面白い映画は時代を経ても面白いのはもちろんだが、それ以上に世間の評価はわからないが、“自分はあのとき感動した”という映画は誰にもある。著名人が選んだ自身のベスト10などに、「なんでこんなのが」というものが入っていたりするのもそのためだ。
映画から受ける“感動”は個々の感性によってそれぞれ違うし、ときが経った後に改めて観直した際の評価と、“最初に観たときの感動”を照らし合わせ、自分のなかでどう判断を下すかも個人の自由だ。作品の評価はどう変わろうと、“最初に観たときの感動”は朽ちることはない。“飽き”とはまた別のものだ。

とにかくリメイクものはやたら多いのだ。TVも同様で、昔の名作をTV映画としてパカパカ作り直している。
『ボニー&クライド』('92 米)〈旧作『俺たちに明日はない』'67 米〉 『ロストワールド』('92 米、スピルバーグのとは別もの)〈旧作『失われた世界』'60 米〉 『12人の怒れる男・評決の行方』('97 米)〈旧作『12人の怒れる男』'57 米〉 『サブウエイパニック1:23PM』('98 米)〈旧作『サブウエイパニック』'74 米〉 『トミーノッカーズ』('92 米)〈旧作『ボディースナッチャー恐怖の街』'56 米・『SFボディスナッチャー』'78 米〉と挙げていけばきりがない。“ボディースナッチャー”は93年にも映画の『ボディースナッチャーズ』がある。
『ライフポッド』('93 米)などはヒッチコックの『救命艇』('43 米)の舞台を宇宙船に置き換えての強引なリメイクだ。
『12人の怒れる男・評決の行方』はそれなりだが、後はとても旧作の足許にも及ぶものではない。もちろん、これらは全てビデオで出ている。『ロストワールド』などは、また最近TVリメイク版が出たが、前作がひどかったのでまだ観ていない。

劇場用映画もリメイクもので溢れ返っている。
『ラストオブモヒカン』('92 米、この作品はファンが多い。古い原作は過去に複数本映画化されている)や『トライアル審判』('92 米)〈旧作『審判』'63 仏・伊・西独〉、『悪魔のような女』('96 米)〈旧作『悪魔のような女』'55 仏〉などは新作がちっとも面白くないだけに、なんでこのネタなのか選択の理由がわからない。
ことにシャロン・ストーン、イザベル・アジャーニ、キャシー・ベイツ共演の『悪魔の――』で使われるトリックは旧作の時代だからこそ通用したもので、いまどき、こんなチープなカラクリでは誰も驚かない。旧作を知らない人間にもまず途中でオチが読めてしまうはずだ。

ゾンビ映画『ナイトオブリビングデッド 死霊創世記』('90 米)〈旧作『ナイトオブリビングデット』'68 米〉は、特殊メイクアーチストのトム・サビーニが新作を監督したが(この肉体派のおっさんはチョコチョコ映画出演もする)、もともと複雑な話ではないので、“見せ方”だけに凝れるこの仕事は楽しいものだったに違いない。画的にもほとんど変わりはないが、どちらも面白い。わけのわからない不気味な異様さは旧作に及ばないものの、女優は新作のほうがりりしくてかわいらしい。

死霊ものでは『ホーンティング』('99 米)や『TATARIタタリ』('99 米)もあるが、『ホーンティング』の旧作は『たたり』('63 米・原題『THE HAUNTING』)なので、てっきり『TATARIタタリ』も同じネタのリメイクかと思ったら、こちらは『地獄へつづく部屋』('58 米)のリメイクらしい。そんな映画は知らん。『たたり』はビデオも出ているが、『地獄へつづく部屋』はビデオはもちろんTVでも観た記憶がない。
どちらも似たような密室もので、新作はSFXを駆使した新感覚に期待したが、あまり面白くない。共に見せるだけの映画に徹しているが、凝った画面も話の単純さを補うほどのものではない。

『ホーンディング』のヤン・デ・ボン監督は、監督作として『スピード』('94 米)や『ツイスター』('96 米)よりも『スピード2』('97 米)こそ切れのいいアクション映画の傑作として光るが、もともとは『ダイハード』('88 米)や『氷の微笑』('92 米)、『ブラックレイン』('89 米)などの有名どころを撮った名カメラマンだ。
このじいさんが、『ホーンディング』のプロモーションで来日の際、レポーターの「恐い映像を撮ってほしい」の注文に、「よっしゃ、まかしとけ」(もちろん英語で)とか言って、腰をかがめ、ビデオカメラをホテルの床ぎりぎりに構えて、小柄な身体でこそこそ走り回っていたのには笑った。さすがにプロだ。

エイリアンもののリメイク映画なら、『遊星からの物体X』('82 米)だ。旧作は『遊星よりの物体X』('51 米)。どちらも原題は『THE THING』だが、邦題は『遊星よりの――』と『遊星からの――』で微妙に違うところがしぶい。
逃げ場のない南極で、越冬隊がエイリアンに襲われるという設定は同じだが、エイリアンの造形は全く違う。旧作はなにぶん古く、着ぐるみを着た人間型エイリアンだ。ただ、これが妙に不気味で、チャチくはなく、人間との静かな戦いも絶妙の間が恐い。追い詰められた逃げ場のない緊迫感がヒシヒシ伝わる。傑作だ。
新作も重苦しい絶望感は変わらず、何より特殊メイクのロブ・ボーディンが作ったグロテスクな七変化を見せるエイリアンがものすごい。ジョン・カーペンター監督の最高作だ。旧作はSF映画幕開けのターニングポイントだが、新作は超SFX時代のエポックメーキングとなった『エイリアン』('79 米)に対抗するものだ。

実はついさっきまで、新作のほうの音楽はベース1本で♪ベベン…ベベン…この2秒おきのスタッカートのくり返しだけだと思い込んでいた。全編出てくる音楽は、♪ベベン…ベベン…だけで、ラストクレジットが流れ終わるまでも全てが♪ベベン…ベベン…だけだったという記憶があった。この不気味なシンプルさが見事に映画に合っていて、緊迫感と恐怖感をあおり、これは史上最も単調かつ効果的な映画音楽かと思っていたのだが、念のために観返すと、そんなわけはなかった。
♪ベベン…ベベン…にやたら押さえ気味だが、じわーっと静かで、重苦しい音色がかぶさってはくる。♪ベベン…ベベン…の印象が強烈で、そっちだけが頭に残っていたのだ。この音楽を担当したのは、あのマカロニウエスタンの巨匠エンリオ・モリコーネだ。モリコーネなら、♪ベベン…ベベン…だけもやりかねないという思い込みの記憶の先走りだった。

エンリオ・モリコーネといえば、もちろん『荒野の用心棒』('64 伊・西独・スペイン)、『続夕陽のガンマン』('65 伊・スペイン)の素晴らしい名曲を作り上げた天才だが、“売り”はきれいなメロディーラインにエグいアレンジだ。映画音楽の重要性はいうまでもなく、マカロニウエスタン大ヒットの要因には、このエグい名曲群の強力な支えがあった。マカロニウエスタンブームのさなかに『マカロニウエスタン大全集』というLPが出たが、これはかなり売れてファンはみんな持っていた。
細短い葉巻をくわえた無精ひげヅラのクリント・イーストウッドがまぶしそうに斜め上を見ているトビラのやつだ。モリコーネの曲は4曲くらいだが、他曲も含め、このLPは何ともエグくて濃い。ブルーザー・ブロディの入場曲レッド・ツェッペリンの『移民の歌』にも影響を与えた『夕陽のガンマン』の出だしの狂気をはらんだ抑揚はただ事ではない。クライマックスの狂ったようなトランペットの掛け合いは、すでにあっちの世界と紙一重だ。

『続・荒野の用心棒』('66 伊、これはモリコーネではない)などは歌入りだ。「♪ジャンゴー」ではじまって、ねちっこく歌い上げるが、こんなものはイタリアの演歌だ。(褒めているのだ)『ロッキー』('75 米)の天才音楽家ビル・コンティも若いころはマカロニウエスタンを手がけたらしいが(LPには入っていない)、エグいけれどもマカロニウエスタン音楽はみんないいのだ。モリコーネは米・伊合作の『ウエスタン』('68)あたりからは本国での作品と掛け持ちで世界に進出する。
『ワンスアポンナタイムインアメリカ』('84 米)や『ニューシネマパラダイス』('89 伊・仏)、『ミッション』('86英)など名曲を挙げればきりがないが、『ウルフ』('94 米)や『記憶の扉』('94 仏・伊)などは映画の雰囲気なりに、ちっとも面白くない『パレルモ』('92 米・伊・仏)はそんな感じに、とにかく見事に作品の世界観を音楽で表現している。

モリコーネ・カラーが色濃く出たのが『アンタッチャブル』('87 米)だ。これはロバート・スタック主演のTV版も有名だが(新作TVシリーズもある)、財務官エリオット・ネスの自伝の再利用ということで、TV版『アンタッチャブル』のリメイクではないけれども、映画版は脚本(デビッド・マメット)も、監督(ブライアン・デ・パルマ)も、役者陣も、その他諸々のスタッフも全てが職人ぶりを発揮した覇気ある傑作だ。音楽も素晴らしい。力強く、殺気をはらんだメインテーマ曲もすごいし、“カポネのテーマ曲”とも取れるカポネ邸で執事が長い階段を登って新聞を届ける優雅なシーン(TV放映版ではカット)の“人を食ったような狂気のうねり”はモリコーネ天才の証しだ。
この映画で、スーツ姿はもちろんコートも、皮ジャンも、ニッカポッカも、役者陣がどんなシーンでも見事に決まっているのは衣装がジョルジオ・アルマーニだからだ。警察官の制服でさえラインが違う。

モリコーネはやたら濃い作品があるかと思えば、スカした感じのする作品もあるが、これはもちろん映画の雰囲気に合わせた感覚であって、手抜きではない。
『アンタッチャブル』はヒットもしたし、大迫力の音楽にも満足したであろうデ・パルマは次の作品『カジュアリティーズ』('89 米 主演マイケル・J・フォックス)でもモリコーネとタッグを組むが、今度のメインテーマ曲はなんと、オカリナ主体の寂しく気色悪い曲だ。♪オボボボ〜〜オボボ〜〜。
もちろん他の音楽も用意はされているのだが、要所は♪オボボ〜〜だ。ベトナム戦争での村民レイプに絡む米兵同士の確執という重苦しいテーマだけに、音楽も♪オボボ〜〜だ。この映画はコケた。デ・パルマは新作の『ミッショントゥマーズ』('99 米)でもモリコーネと組むが、この作品はボロクソに言う人間が多い。期待ほどのものではなかったが、私はそんなにひどいとは思わないけれども音楽は印象にない。

『遊星からの――』のジョン・カーペンター監督は、自分で音楽も担当できる才人で、この作品以前にも自分で音楽を作っていたが、モリコーネの作った♪ベベン…ベベン…に「さすがはモリコーネさん、見事だ」と納得したのか、「こんなもん、わしにもできるわーっ」と不満足だったかどうかは知らないが、その後も自分の映画は自身で音楽を作ることが多い。とりたてて素晴らしいと思うものはないが、別段安っぽくはなく、それなりの映画音楽に仕立て上げるところは才能だ。

モリコーネが手がけたリメイク映画には『ロリータ』('98 米)〈旧作『ロリータ』'62 英〉がある。“ロリータ”なる言葉を世に定着させた原作者ウラジミール・ナボコフが言うところのロリータ像の規範としては、12〜13歳のニンフェットということなのだが、映画では新・旧とも少女は14歳あたりだ。(劇中の設定では)
新作の監督は耽美派のエイドリアン・ライン。旧作は、あのスタンリー・キューブリックだ。新作の敗因は、ロリータ役のキャスティングミスに尽きる。ドミニク・スワインは妖しげな魅力に乏しく、エイドリアン・ラインがどう凝ろうと、背徳的な緊張感は薄い。旧作はスー・リオンのバタ臭いケバさと映画のプラトニック性のアンバランスが期待と興奮を高揚したが、新作はジェレミー・アイアンズとの関係表現も露骨だ。東京都なら、まず淫行条例に引っかかって捕まる。モリコーネの音楽も気にかけていないと、印象に残らない。しぶく登場するフランク・ランジェラのラストの怪演には笑うぞ。《以下後編》